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エブリシンゴナビィオーライッ


2016自宅年賀状2 @ 650_edited-1.jpg


長らくの開店休業のありさまで・・いやはや汗顔の至りでございます。
天才詩人の真似をして「下ノ畑ニ居リマス」と黒板に書いて雲隠れしたつもりが・・
ふらふらとこうやって顔を出してしまいました。
それもフライングな年賀の挨拶という間抜けぶりでございます。
皆様の新年のご多幸をお祈り申し上げます!

『Evrything's gonna be alright』で機嫌よくいきたいと思っております。


***


【マルの薄皮日記(日めくりをくるように薄皮を剥ぐ日々)】

暑さのなごりもしぼんで消えた九月の中ごろだった。
ぼくの相棒サバトラ柄の雄猫マルの首に小豆のようなしこりが触れた。

10月22日 マルは全身麻酔をかけられて首右側の皮膚にできた腫瘍の摘出手術をうけた。
夕刻に病院から家に戻ると、二食分の食餌をペロリと食べボクの心配をサラリとかわし元気に歩いた。
やれやれ。
見た目は若いが十七歳の爺ちゃん猫だ、全身麻酔の手術に伴う合併症を主治医から説明されたときは随分迷ったものだが、手術していただいてよかった、そう思った。
そのときは。

23日 病院で朝から夕方まで点滴。自宅に戻ると夕食を食べず、動かなくなる。

24日 朝からなにも食べず、水も飲まなくなる。全く動かない。
ためしにマルを持ち上げてから床に置くと・・そのままへたり込む。まずいよ、これ。
顔の右側が腫れている。右前足も腫れている。手術した皮膚腫瘍は首の右側だ。腫れた顔と前足も右だ。これは術後出血による血腫じゃないのか?病院へ連れて行く。
血液検査の結果は赤血球の数値が少ない貧血だった。血小板も減少している。止血作用の血小板が消費されて減少しているのなら貧血の原因は出血だ。主治医に質問すると「手術中の出血はなかったのだし」との返答。
『術後の出血じゃないんですか?』
「可能性は低いですね」
『マルが動かなくなった原因は貧血じゃないんですか?』
「貧血の程度は重症じゃないですしね。動かなくなった原因ははっきりしないけど・・高齢だしね」
ボクはiPhoneの電卓アプリでヘマトクリットの数値を計算した。
ヘマトクリット:血液ドーピングで話題になる酸素を運ぶ赤血球の血液中の体積がヘマトクリットだ。
ボクはその数値を計算した。
手術翌日の23日のヘマトクリットは30.6だったのが、今日24日は22.0だ。
電卓で計算すると減少率は29%だ。
『ヘマトクリット22.0%が重症じゃなくたって、一日で約30%も減少したら動かなくなるんじゃないですか?』
「うーん、高齢だしね。様子をみましょう」
釈然とはしなかったが・・そのまま帰宅した。

25日 病院へ行き血液検査をするとヘマトクリットさらに減少し15.0と貧血は悪化。電卓で計算するまでもない、30.6が15.0になったんだ・・二日間の減少率は50%を超えた。
マルが動かない食べないの原因は貧血だ。
創部の再処置を依頼した。主治医は主治医が創部ステイプラーを外し 、創部を圧迫止血するように処置をした。
栄養チューブを鼻から挿入し食道へ留置してもらい、帰宅してから液体流動食の注入を開始。
排尿がないので搾乳ならぬ搾尿で排尿させる。
※8月に膀胱炎から腎不全になったマル。導尿カテーテルを膀胱へ留置しても何度も抜いてしまうマル。主治医から教えてもらって下腹部を圧迫して排尿する日々だった。今回こんな場面で搾尿技術が役立つとは。

『不幸中の幸い』 そっとつぶやいた。

『コップの水はまだ半分も残っている』 自分に言い聞かせる。

『五目焼きそばのウズラ卵はまだ残っている』 よく分からないが景気のいい(?)言葉を頭に並べる。

『まっ、最後に勝つのはオレたちさ』 マルの頭をそっと撫でた。

26日  よたよた歩きで約5メートル進む。
自力で水を飲んだ!
名前を呼ぶと尻尾を振った!

27日 ヘマトクリットは15.6。減少していない。創部の再処置で出血は止まったと判断していいのか?
主治医からは貧血が改善していないので輸血を勧められるが断る。
輸血の適応は・・貧血の数値は参考するが、あくまで赤血球の酸素運搬能力と心臓の赤血球運搬能力で判断するものだ。意識はある、つまり脳の重度酸欠なし。膀胱には尿がある、つまり心臓が腎臓へ血液を送り腎臓が尿を作っているから心臓と腎臓に重度酸欠なし。
なにより少しずつだが動くようになった。
マルは強い猫だと自分に言い聞かせる・・あるいは祈る。現時点で輸血副作用のリスクをおかす必要はない、マルの頑張りに期待する。

右顔面と右前足の腫れが引けてきた。

『ハンサムじゃないか、マル』 目に力が宿る。

『勝利はわれにありだ、マル』 頑張れ、マル。

28日 とぼとぼとトイレまで歩き自力で排尿した!

29日 うんこを出そうときばったが出ない。でも・・きばったぜ!

11月2日 ペースト状のフードを食べた!

4日 病院で摘便してもらう。

5日 猫缶1/4を食べる。流動食注入を減量。
前足で毛繕いする。

6日 食事をせがむ。通常のフード1/2を食べる。流動食注入さらに減量

7日 自力で排便。うんこの脇に定規を置いて写真に撮る。

8日 朝キッチンで皿にフードを盛っていると小走りで寄ってきた。
フード完食!


『コップの水はまだ半分も残っていた』 笑いがこみあげる。

『五目焼きそばの主役、ウズラの卵は残っていた』 涙がにじむ。

『まっ、最後に勝つのはオレたちさ』 マルの頭をそっと撫でた。


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♪♪♪


【山下達郎薄皮の記(山下達郎途中退場の怪)】

12月25日18:30 山下達郎岩手県民会館大ホールに登場。
デビュー40周年ツアーのステージだ。
数曲演奏を終えたMCの達郎師匠「どうも喉にえへん虫がいるようで・・まあ、何十年もやっていればこんことが何度かあります。経験上ね、もうちょっとで良くなりますから。良くなったらまた頭からやりなおしてもいいですよ・・ふふっ」

それからも演奏は続いた。

「40周年なのでセットリストは明るい曲ばかりにしましたと言ったけど、一歩外に出ればけっして明るい世界じゃありません。パリの同時テロ、シリアの難民、ガザ地区の難民・・たくさんの悲惨さと隣り合わせの世界です。一曲だけ真面目な曲をやります」

こういって始めた『Dancer』 ベース伊藤広規先生のスラップが全身に刺さる。かっこいい。
『Dancer』の演奏が終わってからだ。袖に引っ込んだ達郎師匠が戻ってくるとステージのメンバーが全員去った。時間は20:00を少し回ったところだ。山下師匠が語り始めた。

「ちょうどここで半分です。あと半分の曲が残ってるとこです。えー・・どうしても一つの音が出ないんですよ。ライブを30年以上やってるけど、は30分たっても60分たっても声が戻らないなんてのは初めてです。どうしてもGが出ない。このまま歌い続けたってろくな結果になりません。暖かくなったら・・春になったら戻ってきます。
どうですか・・もし皆さんがよければ今日はここで止めます。
3月に戻ってきたらもう一度頭から全部やりますから・・どうですか?」

会場は拍手。「3月公演のお代はもちろんいただきませんから」笑顔の師匠にさらに大きな拍手。

「最後にやる予定だった曲を一曲だけやって終わりにします」
テレキャスターの弾き語りで歌ってくれたのは・・大瀧詠一『指切り』
ああ。シュガー・ベイブでもカバーしてたもんなあ。うるうる。


「Gか・・ソが出ないんだな」ぼくが隣に座っている連れに話すと

『ふーん。歌詞の”そ”が発音できないんだね、困ったもんだ』

「違う!」

この途中退場の顛末は・・

『山下達郎師匠G(ぐう)の音(ね)が出ない事件』

として長らく人々の記憶に残ることだろう。


♪♪♪


11月13日盛岡のライブハウス(ビル地下の小さなハコ)でクロマニヨンズに身体が揺れる。
ああ。甲本ヒロトの歌は応援歌なんだな。

12月12日仙台で斉藤和義にこころがはしる。
かずよしクンのギターを弾く姿にうっとり。ああ、路地裏のイエス様。
今夜もメロディと言葉がビンビン刺さるぜ。 
3月盛岡公演のチケットもおさえてるよん、ふふっ。

12月25日盛岡公演で山下達郎師匠途中退場。
この日のチケット半券で3月の再公演が観られるもんな(笑)


♪♪♪♪♪


「知ってるか?
 虹をつかみたきゃ雨を怖がっちゃだめだ」マルが話しけてきた。

「生きていくには希望が必要だ」

「必需品といってもいいくらいだ」

「うん。希望は冷蔵庫の中のほどよく冷えたマヨネーズのようだ」

「・・・・・」


『コップの水はまだ半分も残ってるもんな』 口元がゆるむ。

『五目焼きそばのウズラの卵は残っている』 笑いがこぼれる。

『サイコロをふり続けろ。どんな目が出たって最後に勝つのはオレたちさ』 手を叩く。

『エブリシンゴナビィオーライッ(Evrything's gonna be alright)』 にやりと笑ったマルがボブ・マーリーのレコードにあわせて歌いはじめた。

『大丈夫さ、大丈夫だよ』マルが笑いながら歌っている。



新年も楽しんで機嫌よくいきましょう。




Bob Marley 『 No Woman no cry』




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